すべての教育は洗脳なのか?
ホリエモンの本に感化され、教員村で教員批判をしたら、村八分にされかねない。
by桜井健二
すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 (光文社新書)
- 作者: 堀江貴文
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2017/03/16
- メディア: 新書
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すべての教育は洗脳なのか?
その 原因 は 何 か? 「学校」 なので ある。 旧態依然 と し た 学校教育 の 中 で、 日本人 は 洗脳 さ れ て いる。 やり たい こと を 我慢 し、 自分 に ブレーキ を かけ、 自分 の 可能性 に 蓋 を する こと を 推奨 する 恐ろしい 洗脳 が、 白昼 堂々 なさ れ て いる のが 今 の 学校 なの だ。
投資 型 の 学び に 我慢 は 不要。 貯金 の 本質 は 我慢 で ある。 そして 99% の 我慢 は、 ただ の 思考 停止 に すぎ ない。 一方、 投資 の 本質 は 先読み だ。 自分 が 何 を 求め、 どんな 社会 で どう 生き たい のか 考え抜く こと が 求め られる。 本当 の 学び に ふみ 出し、 本当 の 自己 投資 を する ため には、 まず 学校教育 の 洗脳 を 解か なけれ ば なら ない。
ここ で 簡単 に「 知識」 と「 常識」 の 違い について 触れ て おこ う。 知識 とは、 原則 として「 ファクト」 を 取り扱う もの だ。 主観 の 一切 入り込ま ない 事実( ファクト) に もとづく 知。 それ が 知識 で ある。 一方、 常識 とは「 解釈」 で ある。 主観 の 入り まくっ た、 その 時代、 その 国、 その 組織 の 中 でしか 通用 し ない 決まり ごと。 それ が 常識 で ある。 日本 で よく 見 られる 儒教 的 な 道徳 規範 などは、 まさに「 常識」 の 最たる 例 だ。
● 知識を教えて常識を見極める
読み書き そろ ば ん が でき、 指定 さ れ た 場所 に 毎日 規則正しく 通い、 リーダー の 指示 に 耳 を 傾け、 言わ れ た 通り の 作業 に 励む。 そんな サイクル を こなせる「 きちんと し た 大人」 を 大量 に 用意 する には、 子ども の 頃 から 仕込む のが 一番 てっ とり 早い。 つまり 学校 は もともと、 子ども という「 原材料」 を 使っ て、「 産業 社会 に 適応 し た 大人」 を 大量生産 する「 工場」 の 一つ だっ た ので ある。
国家 が 国民 に 求める「 務め」 は、 大きく 三つ ある。 兵士 として 戦う こと、 出産 する こと、 そして 納税 だ。「工場( 企業) に 勤め、 たくさん の お金 を 稼ぎ、 結婚 し て 子ども を 持つ のが、 国民 として 一番 まっとう な 人生 だ」問題 の 本質 は、 国家 が 人間 の 規格 =「 常識」 という 鋳型 を 作り、 そこ に 人間 を 無理やり 押し込めよ う と する こと に ある。 その 教育 システム そのもの の 誤り に 気づい て い ない から、 今 でも 学校 は 恣意的 な 常識 の 洗脳 機関 なの だ。
● 人間を無理やり押し込めようとする学校という組織
人間を無理やり押し込めようとする作用は学校に働く。
特に推薦、推薦、現役で新卒の教員の親玉みたいな人たちが管理職になり、
その他の選択肢を知らないというトップの人たちは大きいだろう。
彼らは無意識に汚いものを見ない、自分と違う考えは受け入れられない。
それで困るのは子どもたちである。
ずっとストレートできた新卒の女の子のクラスが荒れるのは、
子どもたちがそうした底の浅さを見透かすからであろう。
はっきり 言お う。 もう「 学校」 は 必要 ない。 子ども たち を 1 箇所 に 集め、 同じ 時間、 同じ カリキュラム で、 同じ 教科書 によって 学ば せる。 現在 の「 学校」 が、 こうした 旧来 の 形 を とどめ て いる こと 自体 が、 軍国主義 教育 時代 の 名残 でしか ない ので ある。しかし、 インターネット が もたらし た 本当 の 衝撃 は、 国家 が なくなる こと なの だ。
● 必要がない教育機関はどこなのか?
私は、教育機関として大学から順番に不要だと考えている。
もともと日本の高等教育機関は、イギリスとアメリカのいいところどりで中途半端なのだ。
アメリカの無限トーナメント方式とイギリス型の人種差別構造が急に反転するからだ。
すなわち、よい大学→よい会社と無限にトーナメント戦を勝ち上がるしかない社会に対して、
大学などの高等教育機関は、教養を身に着けさせるというミッションがあり、これはもともとは貴族の暇つぶしとして、役に立たないものを重視するという思想なのだ。
奇跡的に早慶をはじめとする上位大学でも全くといっていいほど役に立たないことを大学で教えながら、卒業生たちは立派に社会に適応していく。
しかし、今G大学L大学と言われるように、社会に役立つ即戦力のような職業訓練傾向で大学が変わるのか、いやいや結局教養を教えるのか、どこかのタイミングで誰かが決めないといけないのだろう。
●すべての教育は洗脳なのか?
そんなことはない。
私自身がこの本を読んで、バラバラに分析して独自に解釈していったように、
じっくりゆっくりと吟味していただきたい。
決して堀江氏の本を読んだ新卒の教員が、あたかも自説として考えたかのように振る舞わないこと。一瞬であなたは息の根を止められる。
学校で一番恐ろしいのは、教室のいじめではなく職員室のいじめなのだから。