教務主任残酷物語〜生き延びるための100の技法

某私立小学校のセンセイ。コンサル会社→通信で教員免許→私学で教務主任。 説教おじさん。書評や授業論を日刊で配信中。

すべての教育は洗脳なのか?

ホリエモンの本に感化され、教員村で教員批判をしたら、村八分にされかねない。

by桜井健二

 

 

すべての教育は洗脳なのか?

その 原因 は 何 か? 「学校」 なので ある。   旧態依然 と し た 学校教育 の 中 で、 日本人 は 洗脳 さ れ て いる。 やり たい こと を 我慢 し、 自分 に ブレーキ を かけ、 自分 の 可能性 に 蓋 を する こと を 推奨 する 恐ろしい 洗脳 が、 白昼 堂々 なさ れ て いる のが 今 の 学校 なの だ。

 

  本当にそうなのか?
 
●意外に自由な今の学校
 
小学校3年生の社会の教科書を開けば、調べ学習が中心になっている。
テーマや知りたいことを子どもたちが選ぶ。
 
堀江氏が言うような自由がない学校とは、ちょっと前の学校である。
文科省だって決してバカではない。
 
21世紀に対応できる人材を育てるために着々と手を売っているのだ。
それを自分が子どもの頃の経験を踏まえて「すべて洗脳である」とぶった斬るのは果たしてどうなのだろうか。
 
投資 型 の 学び に 我慢 は 不要。 貯金 の 本質 は 我慢 で ある。 そして 99% の 我慢 は、 ただ の 思考 停止 に すぎ ない。   一方、 投資 の 本質 は 先読み だ。 自分 が 何 を 求め、 どんな 社会 で どう 生き たい のか 考え抜く こと が 求め られる。 本当 の 学び に ふみ 出し、 本当 の 自己 投資 を する ため には、 まず 学校教育 の 洗脳 を 解か なけれ ば なら ない。
 

 

● 投資マインドを身に着けよう
 
この考え方には大いに賛成である。
 
もう全員にバレてしまったら遅いのが投資。
 
KOCで優勝したかまいたちが言っていた。
投資はバレてしまってからでは遅いんだ。
 
ビットコインが怪しい?だから儲かるんだ。
 
世の中の先を読んで、みんなより先に投資しなければならない。
人生はフライングし放題。就活だって。
 
ここ で 簡単 に「 知識」 と「 常識」 の 違い について 触れ て おこ う。   知識 とは、 原則 として「 ファクト」 を 取り扱う もの だ。 主観 の 一切 入り込ま ない 事実( ファクト) に もとづく 知。 それ が 知識 で ある。   一方、 常識 とは「 解釈」 で ある。 主観 の 入り まくっ た、 その 時代、 その 国、 その 組織 の 中 でしか 通用 し ない 決まり ごと。 それ が 常識 で ある。 日本 で よく 見 られる 儒教 的 な 道徳 規範 などは、 まさに「 常識」 の 最たる 例 だ。
 

● 知識を教えて常識を見極める

 
子どもたちにとって教師は神様みたいなもの。教師の社会的な地位が低下し、
保護者からの尊敬の念も薄れたとはいえ、子どもから見れば教員が正解なのだ。
 
そんな教員が知識と常識をよく吟味しないで与えてしまってはいけない。
きちんと事実に基づく知識を教えて、常識は多角的な見方を提示すべきだ。
 
 
読み書き そろ ば ん が でき、 指定 さ れ た 場所 に 毎日 規則正しく 通い、 リーダー の 指示 に 耳 を 傾け、 言わ れ た 通り の 作業 に 励む。 そんな サイクル を こなせる「 きちんと し た 大人」 を 大量 に 用意 する には、 子ども の 頃 から 仕込む のが 一番 てっ とり 早い。   つまり 学校 は もともと、 子ども という「 原材料」 を 使っ て、「 産業 社会 に 適応 し た 大人」 を 大量生産 する「 工場」 の 一つ だっ た ので ある。
 
●  工場としての役割だけなの?ルールを守る日本人という良さ
 
きちんとした大人を育てるということは賢い消費者を育てるということであり、
良質な企業を育成するという側面もあるはずだ。
起業家が少ないことは昨今特に言われているが一方で日本の消費者は厳しい。
その厳しい消費者の背景には、きちんとした大人の存在があり、それが世界で通じる日本ブランドになっているのではないか。それを工場のように型にはめると言ってしまってはいかがなものかと思う。
 
国家 が 国民 に 求める「 務め」 は、 大きく 三つ ある。 兵士 として 戦う こと、 出産 する こと、 そして 納税 だ。
 
「工場( 企業) に 勤め、 たくさん の お金 を 稼ぎ、 結婚 し て 子ども を 持つ のが、 国民 として 一番 まっとう な 人生 だ」
 
  問題 の 本質 は、 国家 が 人間 の 規格 =「 常識」 という 鋳型 を 作り、 そこ に 人間 を 無理やり 押し込めよ う と する こと に ある。 その 教育 システム そのもの の 誤り に 気づい て い ない から、 今 でも 学校 は 恣意的 な 常識 の 洗脳 機関 なの だ。
 

 ●  人間を無理やり押し込めようとする学校という組織

 

人間を無理やり押し込めようとする作用は学校に働く。

特に推薦、推薦、現役で新卒の教員の親玉みたいな人たちが管理職になり、

その他の選択肢を知らないというトップの人たちは大きいだろう。

 

彼らは無意識に汚いものを見ない、自分と違う考えは受け入れられない。

それで困るのは子どもたちである。

 

ずっとストレートできた新卒の女の子のクラスが荒れるのは、

子どもたちがそうした底の浅さを見透かすからであろう。

 

 

はっきり 言お う。 もう「 学校」 は 必要 ない。   子ども たち を 1 箇所 に 集め、 同じ 時間、 同じ カリキュラム で、 同じ 教科書 によって 学ば せる。 現在 の「 学校」 が、 こうした 旧来 の 形 を とどめ て いる こと 自体 が、 軍国主義 教育 時代 の 名残 でしか ない ので ある。
 しかし、 インターネット が もたらし た 本当 の 衝撃 は、 国家 が なくなる こと なの だ。
 

 ●  必要がない教育機関はどこなのか?

私は、教育機関として大学から順番に不要だと考えている。

もともと日本の高等教育機関は、イギリスとアメリカのいいところどりで中途半端なのだ。

アメリカの無限トーナメント方式とイギリス型の人種差別構造が急に反転するからだ。

 

すなわち、よい大学→よい会社と無限にトーナメント戦を勝ち上がるしかない社会に対して、

大学などの高等教育機関は、教養を身に着けさせるというミッションがあり、これはもともとは貴族の暇つぶしとして、役に立たないものを重視するという思想なのだ。

 

奇跡的に早慶をはじめとする上位大学でも全くといっていいほど役に立たないことを大学で教えながら、卒業生たちは立派に社会に適応していく。

 

しかし、今G大学L大学と言われるように、社会に役立つ即戦力のような職業訓練傾向で大学が変わるのか、いやいや結局教養を教えるのか、どこかのタイミングで誰かが決めないといけないのだろう。

 

●すべての教育は洗脳なのか?

そんなことはない。

 

私自身がこの本を読んで、バラバラに分析して独自に解釈していったように、

じっくりゆっくりと吟味していただきたい。

 

決して堀江氏の本を読んだ新卒の教員が、あたかも自説として考えたかのように振る舞わないこと。一瞬であなたは息の根を止められる。

 

学校で一番恐ろしいのは、教室のいじめではなく職員室のいじめなのだから。